スノーボード界で「高精度の精密機械」と称される木俣椋真選手をご存知でしょうか。
名古屋っ子として育った木俣椋真選手は、父の影響でわずか3歳からスノボの世界に飛び込み、雪国出身ではないハンデを乗り越えて世界トップへと成長しました。
この記事では、木俣椋真選手のwiki経歴と学歴を詳しく紐解きながら、2026年ミラノオリンピックで掴んだ銀メダルの軌跡に迫ります。
木俣椋真のwiki経歴
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木俣椋真選手は3歳でスノーボードを始め、数々の国際大会で実績を積み上げてきた選手です。
フロントサイド1800やバックサイド1800といった高難度の回転技を武器に、「最も崩れない男」との異名も持っています。
ここでは、幼少期からオリンピックに至るまでの歩みを振り返ります。
初期キャリアと育成環境
木俣椋真選手がスノーボードを始めたきっかけは、趣味でボードを楽しんでいた両親の影響です。
3歳の頃、父・慎也さんに抱えられながらゲレンデを滑り降りた体験がすべての原点でした。
出身地の名古屋市は雪が少ない地域ですが、室内練習場「スノーヴァ羽島」などを活用し、季節を問わず練習に打ち込んでいたそうです。
この一年中休むことのない反復練習が、後に「高精度の精密機械」と称される精密な空中技術の基盤を作り上げたのでしょう。
小学1年生の頃にはすでにオリンピック出場を夢見ていたというのですから、幼少期から志の高い選手だったことがうかがえます。
ユース時代の台頭
木俣椋真選手が世界に名を知らしめたのは、2020年のローザンヌ冬季ユースオリンピックです。
当時17歳でビッグエア種目に出場し、見事金メダルを獲得しました。
ジュニア世代で頂点に立った経験は、その後のシニア大会への挑戦に向けた大きな自信につながったはずです。
10代にして国際舞台で結果を出した実績は、まさに「次世代のエース」としてのインパクト十分だったのではないでしょうか。
世界選手権での飛躍
シニア転向後も木俣椋真選手の勢いは衰えません。
2023年のFIS世界選手権スロープスタイルで銀メダルを獲得し、世界トップとの実力差がないことを証明しました。
さらに2025年の同大会ビッグエアでは金メダルに輝き、名実ともに世界王者の座へ。
わずか数年で着実にステップアップを遂げた成長力には、目を見張るものがあります。
2026年ミラノ・コルティナオリンピック
初のオリンピックとなったミラノ・コルティナ大会で、木俣椋真選手は男子ビッグエア決勝に進出しました。
1本目86.25点、2本目85.25点と安定して高得点を揃え、見事銀メダルを獲得。
金メダルの木村葵来選手とともに日本人ワンツーフィニッシュを達成した点も歴史的快挙です。
4年前の北京大会では代表入りを逃した悔しさがあっただけに、この結果には胸が熱くなります。
大会前に「応援してくれた人たちのために形に残るものが欲しい」と語っていた言葉が、銀メダルという形で現実のものとなりました。
木俣椋真の学歴
木俣椋真選手は名古屋市内の学校に通いながら競技力を高めてきました。
雪のない環境から世界レベルに成長できた背景には、家族の献身的なサポートと学校の理解が欠かせなかったといえます。
各時代のエピソードを見ていきましょう。
名古屋市立中川小学校時代
木俣椋真選手は名古屋市立中川小学校に通っていました。
父・慎也さんに連れられ毎週末スキー場へ通う生活が日常で、低学年のうちからジャンプ台での練習にも取り組んでいたそうです。
クラスメイトには「週末はいつも雪山にいる子」として知られ、同年代と比べても技術習得のスピードが格段に早かったと伝えられています。
小中学生の頃から国内のFIS大会を転戦し、着実に競技経験を積み重ねていきました。
名古屋市立黄金中学校時代
中学は名古屋市立黄金中学校へ進学しました。
中学2年の冬に国内ジュニア大会で入賞を果たし、「次世代の有望株」として注目を集め始めた時期です。
平日は教室で授業を受け、週末は雪山へ向かう多忙な日々でしたが、担任や同級生の理解に支えられていたようです。
在籍中には国際スキー連盟の大会にも出場しており、競技と学業を高いレベルで両立していた点は見事というほかありません。
なお、中学3年からはハーフパイプを離れ、ビッグエアとスロープスタイルに絞る決断を下しています。
この選択が後の飛躍につながる重要なターニングポイントだったといえるでしょう。
私立享栄高等学校時代
高校はスポーツの名門・私立享栄高等学校に進みました。
野球部をはじめ多くのアスリートを輩出してきた環境だけに、木俣椋真選手の競技活動へのサポートも手厚かったようです。
高校2年の2020年にユースオリンピックで優勝を果たし、世界的な注目を集める存在となりました。
担任教師からは「多くは語らないけど、行動や結果で見せてくる」と評されており、寡黙ながら実力で証明する人柄がうかがえます。
海外遠征で不在になることも多い中、限られた学校生活を大切にしていたそうです。
大学に進学しなかった理由
木俣椋真選手は高校卒業後、大学には進まずプロの道を選択しました。
恩師から「競技で世界を目指すべきだ」と背中を押されたことが、決断の大きなきっかけになったそうです。
現在は株式会社山善に所属し、競技に専念できる環境でトレーニングを重ねています。
その後の世界選手権金メダルやオリンピック銀メダルという輝かしい実績を見れば、この選択が正解だったことは疑いようがありません。
まとめ
木俣椋真選手は、雪の少ない名古屋で育ちながら父の影響で始めたスノーボードで世界の頂点を目指し続けてきました。
室内練習場で培った精密な技術と家族の献身的な支え、そして大学進学より競技を選んだ覚悟が実を結び、2026年ミラノオリンピック銀メダルという快挙を成し遂げています。
名古屋っ子が世界を驚かせた軌跡は、まだまだ続きそうです。

